昭和48年10月15日 前夜祭



 この神様は決して、その妥協を許されないと。もう些細な事でも間違っておれば、間違っておるとそれを正させ、そして本当の事へと導いて下さり、お育て下さる神様だと。何時もそう云う風に厳しく思うのです。まぁこう申しますと大変厳しい様ですけれども、それが信条であり親心だと云う事です。まぁそれを易しく言うと、這えば立て立てば歩めの親心だと思うですね。
 それは優しく言うと、今私の聡子がようやく立ち上がって、今日二三歩此処で歩きよった。ね。それを今度はもう自分は、やっとかっときつうして応えんごたる風ですけれども、それをまた立たせてから、まいっちょ歩けまいっちょ歩けと、言うておる。それが親心なんです。ね。やっぱ這えば立たせたい、立てば歩ませて見たいというのが親心。是は私は、何時もそれを親教会と私の上に感ずるのですけれども。今、日毎それを感じた事は御座いませんでした。
 そして本当に親先生が仰る事は、本当な事だなと云う事を、愈々感じる様になりました。確かに親先生はもう、妥協を許されないですね。この頃からまぁ色々と、親先生大変まぁ、喜んで頂く様な事が、次々とありまして、最後にはもう今度は私が、あんた方んお祝詞は作成してやると言うておられました。それでそれをお願いに参りましてから、御本部の御造営も済んだ事でご財ますから、是からは親教会の御造営が、発願されておりますので、その事に一つ、合楽はその信心を向けて行きたい。
 親教会御造営の事に、一つ心を向けたい。為にどうぞあの今度のお祝詞の中にはその事も、謳っておって下さい。書き込んでおって頂きたいと、お願いしましたら、親先生が大変喜ばれたです。そらあんたが祭主として、お祝詞上げるならやっぱりそりゃ、それば書くとが本当じゃろうと言うてそれから又、あの翌日電話が架かって参りましたから、もう大体は幹三郎が、毎日参りよるから、託けてくださりゃ良いんですね。けれどもやっぱりそれをその自分が書いた祝詞を、一遍自分の目の前で読ませて。
 間違いがあったら一言一句でも、直しておきたいと言うのが、やっぱ親心です。だから親先生とこう、あの椅子に腰掛けてから、さぁ一遍とにかく読んで見なさい。あんたが読みきらんとこは、仮名遣いしなさいというごたる風で、読ませて頂いた。そしてそこはそう読むのではない、こう読まなと言うて教えて下さる。それをまぁ読みきらん所は、仮名遣いをすると云う様に、まぁ暫く掛かって、まぁ一遍ほんなら、もう一遍精読して見なさい。読んで見て、まぁそれで良かろうと。
 その何べん読ませて頂いてもですね。親先生が注意をされるたんべんに、感動するんです。不思議なんです。ね。ですからね、結局、間違った事は許さないが、神様である様に、親先生も矢張り、合楽に向かっては、そういう厳しい態度を取っておられるんだなと。それを、今日も、なお、感じた事があるんです。同時に解らせて頂く事は、物事が例えば願いが成就すると、と言う前には必ずその段階としてです。是はまぁおかげの常套手段と言っても良いでしょう。
 必ず山があるとか、色んなお試しがあるとか、ね。例えばこの前夜祭というのが、そういう様々な所を通り抜かせて頂いて、もう是で万事万端滞りなく準備が出来ました。明日のお祭りを、愈々輝かしい物に、尊い有難い物にさせて下さる事の為にです。ひとつの区切りが、やっぱ。ほんなら、そん為の前夜祭だと云う風に思うです。前夜祭は、まぁこの近所では、前夜祭をこうしてあの、御大祭たんべんに仕える所は、此処だけだと思うんです。普通では記念祭かなんかの時だけしかありません。
 けどもそういう意味で、成程前夜祭を仕えると云う事は、有難いなと。こら参拝者はありませんけれども。是はあの奉仕をさせて頂ます、私共また、祭主を仕える私としては、まぁ修礼の意味においてでも、やっぱこの前夜祭は、おかげ頂かなければならないもんだという。今日もその事をお礼申させて貰いよりましたらね、あのレンコンを頂いて、レンコンがざっと洗ってあるだけの、あの節の所にこう、もじゃもじゃした毛が生えとるでしょう。節の所へ其処ん所を頂くんです、ね。
 此処ん所を綺麗にして、通り抜けて、しかもそこは折れそうにある所を大事に洗わせて頂いて、綺麗にさして貰うて、初めて神様にお供えが出来るんです。次はまぁ少々悪かっても、まぁレンコン食うて下さる様なおかげで、明日はおかげでまた、御大祭を奉仕させて頂くことだろうとこう思うのです。今朝から親先生から電話が架かって参りました。今日鹿児島はどげな風になっただろうかとかこう。もう言われて見てからですね。ほんともうムカッと来る、ほんなごと昨日一昨日。
 あちらから一昨日、一昨昨日でしたか。はがきが参りましてね。この度はこちらの記念祭におかげを頂いた。そしてお説教のおかげを頂く事になったが、何時何分の汽車で発って、何時何分の汽車では、もう帰らんならんから、どうぞよろしく手配を願うと云う事であった。だからはぁそうばいなと言うて、私の心だけであった。所がやっぱし親教会に、それを言うとかにゃいけんかった。
 何時何分に見えて、何時に見えますよと云う事を。はがきを頂きましたよと云う事を、言うておけば良かったんですけれども、今日今朝方お電話頂いて、あらまたしもうたと。そんならそんのごと言うとかんな、こっちもあんたこっつぁんつうと来るなら、夜も夕ご飯なら夕ご飯の準備もせんならんと、こう云う訳なんです。そらどうも済みませんでしたな、今日はこちらにお迎えに参りましてから、そちにお送りしますからと云う事で御座いました。それで三時何ぼの汽車だと言うので。
 文雄先生と若先生とお迎えに参りました。待てども待てども帰って来ません。そしたら電話が架かって来て、その時間に見えなかった。それで次に汽車まで待ったけれども、とうとう降りられなかった。そこでもう帰って来るからと云う事で御座いました、帰って参りました。櫛原に親先生が今日行ってられましたから、櫛原の方にも、駅から電話を架けて、色々と聞いた、親教会の方にも電話で聞いた。けれども皆目発っておられるのか来ておられるのか分からない。
 そこでもう是だけの手を尽くしてから、見えんのだから、仕方がないよと言うておりましたとこに、文雄先生と二人が帰って来た。それから行徳先生から来とったハガキを、もう一遍確かめて見ろと、さぁそれをどんなに探しても無いわけです。それからもう仕様なかけん、ほんなら鹿児島の教会のほうへ、一遍電話を聞いてお立ちになったか、また都合がおありになるのか、電話を架けてみろと言うて言いよる所へです。
 私はもう一遍探して見ろうと思うて、御結界の所にしたら紙の下の方にちゃっと、入ってるんです。そして時間を見てびっくりした。三時ではなくて五時なんぼの汽車であった。しかも時間を見ると、あと二十五分である。丁度其処ん所へです。まぁこんならかつがついけるだろうと言う時間に、ハガキが出て来た所もなんとも言えんですね。もうそれはそれは、もうそれはそれはなんとも言えん。
 是が例えば五分でも十分でも、遅なしてもう行徳先生が善導寺の方さん、つうっと行かれた、そのあとに迎えに行ったなら又、親先生に対しても、行徳先生に対しても、申し訳のない事であった。丁度おかげを頂いて、あちらにお送りさせて頂いた。それも又昼からでした、親先生からあの私に出れと言うて電話が架かっておりますよと言う。是はどうもその事では無いらしい。
 そら今度はちょっと気色が悪いですもん。電話の声が。あいたこらまた何か出来たばいなと思いよったら、今私は櫛原に来とるち。合楽の十六日の通知の案内を、あんなに電話ででも良い、ハガキでも良いから、各教会にもう一遍改めて案内を出せと言うとったのに、どうして出しとらんのかと。今ここに南久留米と鳥栖が来とるけれども、あら十六日に大祭があるですかと云う様な事だから、私も言い様がない事になっとる。と言われる。そらちょいと親先生、待って下さい。
 親先生からあぁ言われて、もうすぐ私は、勝彦に申しましたら、もう勝彦にしては、珍しく、それこそこんな立派な字を書ききるじゃろうと言うごたる楷書で、きちっとした字で、十何枚のご案内を書いて、是で良いでしょうかち言うて持ってきた、御結界に。だからほんなら是をすぐ出してもらおうと言うて、幹三郎に出しにやった。幹三郎は丁度久保山の小母しゃまが、んにゃそれは私が帰りがけ出してあげるち言うたげなけんで、お願いした。と云う事ではっきりそれを、私も見届け聞き届けておりますから。
 いやそらもう間違いなしに出しとりますよ。それでもあんた、二人の先生が来とるとに、行っとらんち言うから、あんたじゃろもん。そんなら今から改めて、また電話ででも、お願いをさせてもらいましょうと言う事であった。ね。それから、若先生その事を申しましたら。そんな事無いがと言うので、それから宮の陣の教会に、電話をまた架けてみた。そしたら、いいや今朝から受け取りましたと言う。
 ほんなら、遠い所の星野の教会に、一遍問い合わせてもろうとこう言う。そしたら星野教会も、今日受けたとこう言われる。考えて見ると、丁度土曜日曜が入っておったので、昨日着かねばならないのが、今日着いたと云う訳なんです。それで若先生が、すぐまた櫛原のほうへ電話を架けた。こんな風で。はぁそげなこつじゃったの、そんならもう電話を架けんなら架けんで良かたいと言う事で御座いましたけれどもです。
 もうははぁこう言う思い違いとか、考え違いとか、もう親先生ばっかりは、合楽の場合は、もう、なんが何でも、あんなふうに言いなさらにゃ出来んとじゃからと言う頂き方ではない。んなら親先生とてもです。そういう為に仰っとってではない、少しでも間違ってはならないと言うのが、やっぱ親先生の願いであり心である。だからこれからどんなに私が、親先生が喜びなさることをさせて頂いても、是でもう妥協でもしようと思いよったら、もう絶対にやられる。ね。妥協は許されない。
 それは神様が、矢張り立てば歩め歩めという。そういう神様の少しでも本当な事へ、本当な事をさせようとする働きであると言う事をです。限りなく願い求めておられると云う事を、まぁ感じるのです。ね。私共がおかげを頂いて行くと言うてもそうです。ね。こりゃ昔の先生方が言っておられた。そら昔の先生方ではなく、今でも矢張り同じだと思うんですけれども。
 修行生の方達の上にもうそれこそ、もう次々と修行がある。その修行をですね、本当に見事に受け止めた時に、さぁ○○どこどこへ布教ぞ、と言う風に仰っとったそうです。桂先生なんかもそうだったそうですね。此処ん所ば本当に、信心で受け抜き切らなければね、布教に出ても人は助からんと言うのです。だから失敗ばっかりしとったんじゃ、何時までたっても、布教に出られない。
 と云う様に是は一つのおかげを神様が、下さる事の為には、そう云う一つの常套手段です。言葉が悪いですけれども、ね。だから其処ん所を、私共が何時も神様は。妥協なさらないと云う事を、良く心に銘じとかなければ、肝に銘じとかなければならないと云う事です。ね。成程試験そして合格、そして進級と云う事になるのと同じなんです。その試験に、また落第した、また落第したでは、進級するはずがありません。ね。
 ですからいかになら、私は親先生の、今一番願っておられる、一番喜ばれる事を、私がしとるからと言うて、もうこんくらいのこっで良かろうと云う様な事は。絶対親先生は許されないだろう。是は油断も隙もあったもんじゃない。何時も緊張した矢張り行き届いた信心させて貰わなければならんと云う事を思います。同時におかげを受けると言う事の上には、皆さんもよう其処ん所を、繰り返し聞いておられ、体験もしておられるのですから、分かっておられましょうけれどもです。ね。
 次に大きなレンコンの、レンコン食うて頂く様なおかげを頂く前には、折れやすい所がある。しかもそこには、汚い毛が、もやもやと生えとる様なところがある。そこを綺麗にとって抜けた時にです。初めて神様が、信心も出来んのに、此の様なおかげを下されて有難い、勿体ないと言う事になるんだと思います。前夜祭はそういう意味でです。そういう小さい節を乗り越えました。
 そして明日の御大祭を愈々輝かしい物に、有難い物にさせて頂く為のお祭りだと言う風に頂いても良い訳ですね。今日はそう云う様な事が御座いました。ね。おかげで五時なんぼ、本当にぎりぎりで向こうに間に合わせて頂いた。それから親教会にお送りして、丁度お祭りにも間に合う様なおかげを、ま頂きました。おかげを頂ました。どうぞ明日のお祭りを愈々輝かしい物、有難い物に頂かせて頂かなければならんと思うので御座います。
   どうぞ。